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【編集部厳選】二重橋前駅 × ランドマークのおすすめスポット13選!

目次

東京府庁舎跡

東京府庁舎跡は、東京都千代田区丸の内にあるランドマークです。当初は東京市幸橋門内にあった旧大和郡山藩邸に開設され、その後丸の内に移転し、東京市庁舎が完成しました。しかし、戦災により建物は焼失しています。歴史的な建物の跡地として、多くの人々が訪れています。

【住所】東京都千代田区丸の内3丁目5

銀の鈴

東京都千代田区丸の内にある「銀の鈴」というスポットは、ランドマークとして知られています。場所は東京駅の改札内の地下1階にあり、地下中央通路のB1階、八重洲口側に位置しています。銀の鈴はガラスケースに入った巨大な鈴で、待ち合わせ場所として利用されています。ただし、人が多いためベンチ席はあまり空いておらず、タイミングによっては座ることが難しいかもしれません。しかし、席が空いていれば目印としても使いやすく、オススメの待ち合わせ場所の一つです。

【公式サイト】https://www.tokyoinfo.com/guide/station/ginnosuzu.html
【住所】東京都千代田区丸の内1丁目9-1 東京駅 改札内 地下1階

坂下門

東京都千代田区にある坂下門は、史跡としてもランドマークとしても知られる場所です。江戸城氏の名残を残す門の中でも、特に興味深いのが、1862年に起こった「坂下門外の変」の現場となった坂下門です。明治時代以降は、皇居の重要な入口として使われ、宮内庁の出入口としても利用されています。ただし、警備が厳重なため、立ち入りはできません。口コミによると、現在も多くの門が現存しているようです。

【公式サイト】http://www.kunaicho.go.jp/about/shisetsu/kokyo/kokyo-map.html
【住所】東京都千代田区千代田1

日本歯科大学発祥の地の碑

「日本歯科大学発祥の地の碑」は、東京都千代田区大手町にあるランドマークです。1909年に千代田区富士見1丁目に移転した日本歯科医学専門学校を経て、日本歯科大学に昇格しました。現在、日本歯科大学は私学で、「自主独立」という建学の精神を継承しながら、生命歯学部と新潟生命歯学部の2学部、大学院、付属病院、短期大学、博物館を有する世界最大の歯科大学となっています。口コミには、このような情報が含まれています。

【公式サイト】http://www.kanko-chiyoda.jp/tabid/294/default.aspx
【住所】東京都千代田区大手町1丁目5

ヤン・ヨーステン記念碑

「ヤン・ヨーステン記念碑」は、東京都中央区京橋にあるランドマークです。日本とオランダの関係が始まったウイリアム・アダムスやヤン・ヨーステンらの来航によって設立されたオランダ商館が、鎖国時代の日本において唯一の欧州窓口となりました。八重洲という地名は、漂着したヤン・ヨーステンに由来し、徳川家康から与えられた屋敷の周辺を「やよす河岸」と呼び、地名「八重洲」の起こりとも言われています。八重洲河岸は江戸城建設の起点となり、歴史的な意義を持っています。

【住所】東京都中央区京橋1丁目1

正二位勲一等子爵井上勝君像

「正二位勲一等子爵井上勝君像」は、東京都千代田区丸の内にあるランドマークです。井上勝行は江戸時代から明治時代にかけて活躍した武士であり、官僚としても活躍し、鉄道発展に寄与したことから「日本の鉄道の父」とも呼ばれています。彼は山口県萩市の長州藩士の三男として生まれ、幼名は卯八、通称は弥吉でした。彼は藩命で江戸の蕃書調所に入学し、航海術等を学び、藩校明倫館で勉強し、開明派で蘭学重視の父に従い西洋学を学びました。彼は井上聞多(馨)、遠藤謹助、山尾庸三、伊藤俊輔(博文)と並ぶ長州五傑の一人であり、ユニヴァーシティ・カレッジ・ロンドン(UCL)にて鉱山技術・鉄道技術などを学びました。彼の功績をたたえて、彼の像が建てられています。

【住所】東京都千代田区丸の内1丁目6

銀座の柳由来の碑

銀座の柳由来の碑は、東京都中央区銀座にあるランドマークです。1887年に銀座通りに植樹された銀座の柳は、1920年に撤去されましたが、1931年に復活し、多くの詩歌に謳われ、銀座のシンボルとして親しまれてきました。1968年には移植され、現在はその由来を記した碑が建てられています。

【公式サイト】https://tokuhain.chuo-kanko.or.jp/archive/2015/10/post-2779.html
【住所】東京都中央区銀座1丁目7

地下鉄の父早川徳次銅像

「地下鉄の父早川徳次銅像」は、東京都中央区銀座にあるランドマークで、エンタメスポットとしても知られています。早川徳次は、東京地下鉄道(現在の東京メトロ)の創立者であり、日本に地下鉄を紹介・導入したことから「(日本の)地下鉄の父」と呼ばれています。彼は山梨県出身で、早稲田大学を卒業後、南満州鉄道に入社しました。その後、鉄道院に入局し、佐野鉄道や高野登山鉄道の経営再建に成功しました。彼は1914年に欧州を訪問し、英国の地下鉄に衝撃を受け、東京にも地下鉄が必要だと考えました。その後、彼は地下鉄建設に向けて尽力し、日本の地下鉄の礎を築きました。銅像は、東京メトロ連絡通路内にあり、早川徳次の功績をたたえるものです。

【住所】東京都中央区銀座4丁目1-2 東京メトロ連絡通路内

京橋大根河岸青物市場跡の碑

「京橋大根河岸青物市場跡の碑」は、東京都中央区京橋にある史跡であり、ランドマークでもあります。かつては、京橋川の水運を利用して野菜の売り場が設置され、大根の入荷が多かったことから「京橋大根河岸市場」と呼ばれ、明治時代には「京橋青物食物河岸」として規模を拡大し、青物・菓物の他、魚類・乾物も扱っていました。大正時代には関東大震災により甚大な被害を受けましたが、卸問屋・仲買による組合の努力により問屋68軒、仲買105名に達しました。しかし、1935年に築地に東京卸売市場が開業し、それに伴って移転しました。現在は、その跡地に碑が建てられ、当時の歴史を伝えています。口コミには、当時の市場の歴史や規模についての情報が記載されています。

【公式サイト】https://www.city.chuo.lg.jp/kusei/kohokotyo/koho/h28/281011/fre/index.html
【住所】東京都中央区京橋3丁目4

真珠王記念碑

「真珠王記念碑」は、東京都中央区銀座にあるランドマークです。この場所は、宝飾品の製造や販売を行うミキモトの前身である御木本真珠店創業者である御木本幸吉の功績を称えるために建てられました。御木本幸吉は、1858年に三重県鳥羽市で生まれ、別名「ミキモト・パール」や「真珠王」として知られています。彼は、家業であるうどんの製造販売の傍ら、青物の行商や足芸を披露し、英国の軍艦シルバー号へ青果や卵を売り込むなど、若くして商才を発揮しました。後に、海産物商人に転身し、天然真珠など志摩の特産物が貿易商品になると見込み、真珠の販売では世界一のシェアを持つまでになりました。この記念碑は、御木本幸吉の偉業を後世に伝えるために、彼の功績を刻んだものであり、多くの人々に愛されています。

【住所】東京都中央区銀座4丁目5

明治大学発祥の地

「明治大学発祥の地」は、東京都千代田区有楽町にある史跡であり、ランドマークでもあります。この場所は、1691年に深溝松平家の上屋敷が置かれ、明治時代には民権結社による演説会などが盛んに催されました。1881年には、法律家の岸本辰雄・宮城浩蔵・矢代操が屋敷の一部を借り受け、明治法律学校を開校しました。その後、1886年には神田区駿河台南甲賀町に移転しました。この場所には、1995年に「明治大学発祥の地」碑が建立されています。口コミによると、この場所は明治大学の歴史的な起源であり、多くの人々にとって重要な場所であるとされています。

【公式サイト】https://www.meiji.ac.jp/koho/meidaikouhou/201502/p05_02.html
【住所】東京都千代田区有楽町2丁目2

銀恋の碑

「銀恋の碑」は、東京都中央区銀座にあるランドマークで、石原裕次郎と牧村旬子のデュエット曲「銀座の恋の物語」の歌碑として知られています。この曲は、1961年に発売され、石原裕次郎主演の映画「街から街へつむじ風」や「銀座の恋の物語」で使用されました。1990年に建立されたこの歌碑は、銀座の恋の物語を讃えるものであり、多くの人々に愛されています。

【住所】東京都中央区銀座4丁目1

名水白木屋の井戸

「名水白木屋の井戸」は、東京都中央区日本橋にあるランドマークです。近江商人大村彦太郎が創業した呉服店・白木屋の店内に掘削された井戸で、1711年に彦太郎が日本橋周辺の水不足を解消するために作られました。難工事でしたが、一体の観音像が出現した途端、不思議と清水が湧き出たと言われています。やがて「白木名水」と呼ばれるようになり、越前松平家はこの水で病が治ったとして、1868年頃まで毎朝水を汲み取っていたとか。しかし、1999年に白木屋は閉店し、白木名水も消失してしまいました。観音像は浅草寺に安置されています。

【公式サイト】http://www.syougai.metro.tokyo.jp/bunkazai/week/chuo/chuo10.html
【住所】東京都中央区日本橋1丁目4-1

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